大森元気さん(ex.残像カフェ)が2020年より始動なさった新プロジェクト「残像のブーケ」。このたびついに1stアルバム『残像のブーケ』をリリースされました。なんと制作には4年以上を費やしたとのことで、今回は完成までの道のりや、貴重な制作エピソードの数々、曲に込めた想い、プライベートなお話までたっぷり伺いました。ぜひ大森さんの歌を聴きながらゆっくりお読みいただければと思います。(2022年5月)

---大森元気さんの新プロジェクト「残像のブーケ」は2020年に始動されたそうですね。
大森さんといえば、やはり残像カフェが大きく印象に残っているので、この名前にはちょっとドキッとしました。
このプロジェクトを始めたきっかけや、「残像のブーケ」という名前に込めた想いについて伺えますか?


大森:きっかけは簡単に言うと、大森元気ソロとちょっと違うものを作りたいモードになったことですね。
ソロもソロプロジェクトも同じって思うかも知れないけど、作ってるときのモードは自分の中では違いました。

アルバムを作り始めたのが2017年の年末でした。その年の前半にバンド編成でのライブを集中的にやっていて、気分的に残像カフェの曲ばかり演奏していたんです。
そのときすごくナチュラルに楽しめて。「残像カフェのコピバンやろうぜ!」みたいな感じで。いろんな面倒臭いこと考えず純粋に楽しめたんですね。

面倒臭いことって言ったけど語弊があるかな。
残像カフェって、個性と個性のぶつかり合いみたいなところがあって、1人でも欠けると別モノになってしまうようなバンドだったんです。まあバンドってそういうもんですよね。
それで途中でメンバーが変わったり、僕1人になったりしたときにどう演奏すればいいか悩んだし、ファンの中でも賛否両論で。
でも長い時を経て2017年にはすっかり楽しめている自分がいることに気づきました。

それでそういう「残像カフェのベスト盤」みたいなセットリストで何回かライブをやったあと、気が済んで「次へ行こう」ってなりました。
そのときにソロのモードに戻るんじゃなく、残像カフェのモードのまま新曲を作ってみたいなって思ったんです。
「残像カフェの未来進行形」って言ったら誤解を招くかもしれないけどそんな妄想上の設定ですね。
そういう経緯でソロプロジェクトの始動になっていきました。名前にもあえて「残像」を入れたのもそんな理由です。

「ブーケ」の由来は、まあざっくり「花束」みたいな意味合いですけど、20年歌ってきて「みんないろいろあったよね」と。「久しぶり、元気?」みたいに音楽をプレゼントできたらいいなと。
と同時に、いま言ったような「残像カフェの残像にもう悩まなくていいんだ」っていう、“ありがとう”と“サヨナラ”の花束みたいな意味もあったりして。
そのへんはそのまま1曲目(「残像のブーケ」)の歌詞にもなってるんですけど。

---そういうことだったのですね。
今回の1stアルバム完成までに4年余り費やしたとのこと。
この4年を振り返ってみて、いまどんなことを思っていらっしゃいますか?
想い出に残るエピソードもぜひ伺いたいです。


大森:本当、こんなに長くかかるとは思いませんでしたね。
最初はミニアルバムの予定で、数ヶ月で完成させるつもりでした。バンド編成で2〜3曲、あとはアコースティックな曲をいくつか入れて、当時住んでいた北鎌倉の空気感を閉じ込めたような、地味だけど雰囲気のある作品を考えていました。

ただ、のちにリード曲となる「ぼくの愛する暮らし」がぎりぎり間に合わなかったんですね。原型はできていたんですけどちゃんと仕上げられなくてドラム録りに間に合わなかった。それが2017年の12月です。
それでその直後、年末年始に自宅にこもってデモを完成させたんですけど、歌詞も曲調も今の自分のテーマソングっぽいなと。そうなると「これはどうしても入れたい!アルバムに必要だ!」となって。それで終わっていたドラムの録音を新たにもう1日追加してもらいました。
で、1曲だけじゃもったいないってことでストックから追加する形で、アレンジは新しくやったんですけど、それで一気に3曲増えたのかな。

そこで終わればよかったんですけど(笑)。欲が出たというか、アルバムとしての構想をやり直して。地味なミニアルバムから、自分の持ち駒を最大限詰めこんだフルアルバムに方向転換しました。

流れとかバランスとか曲順も含めてあれこれ考えながら、「もうこれ以上追加しない!」って3〜4回心に誓った気がしますけど、何度も追加していきましたね。そのたびにミュージシャンにオファーしたので効率は悪かったです。

最終的にバンド曲が9曲になり、宅録入れて全12曲、収録時間60分というボリューム満点のフルアルバムになりました。

レコーディングの前半はいろんなメンバーが集まってわいわい楽しかったですね。
録音の多くはエンジニア兼ミュージシャンのアダチヨウスケ君のハウススタジオで行なったんですけど。特にコーラス録りの時とか友だちの家に集まって遊んでるみたいで楽しかったです。ハロウィーンと重なってみんなでお菓子を持ち込んだり、夜にはピザパーティーもしましたね。
中打ち(中間打ち上げ)って言ってたんですけど、今思えば全然序盤でした...(苦笑)。

曲を追加していった他にも制作が伸びたのには2つ3つ理由があります。1つは楽器やコーラスの数が多かったこと、それからアレンジを試行錯誤しながら作っていったことです。

ミュージシャンにもたくさん参加してもらいましたが、自分でも膨大な量のパートをこなしました。ギターや鍵盤類はもちろん、ベースも弾いたし、ストリングスやシンセなどの打ち込みとか。
これらはすべて自宅で作業したのでいくらでも時間をかけられるんですね。
アレンジを全部やり直したり、1箇所のフレーズを何日間も作り続けたり、あと「リフレイン」のギターなんかは高度な技法を完成させたくて1曲で1000テイク以上録ったりとか。ライブでは再現できないぞって感じなんですけど(苦笑)。
ストリングスの打ち込みも素人感が出ると、ないほうがマシってことになりかねないので精一杯こだわりました。

さらにミックスをリモートで行なったこと。コロナ禍のせいもあるし、単純にスケジュールのせいもあったんですけど、アダチ君とデータでのやり取りを繰り返しました。
いろんな環境で聴き比べることができたっていう点ではよかったんですけど、延々とやり取りして。終わりが見えなかったですね...。アダチ君の腕が悪いという意味ではないですよ?でもイメージと違うところを逐一修正してもらって、それを聴いてまた別のところが気になって...というふうに泥沼になっていきました。

普通ミックスって数日とかで終わると思うんですけど、ほぼ毎日やりとりしてるのに数ヶ月もかかって。
「完成」ってなってからもまた修正してもらったり。しかも数回....。本当に振り回してしまいましたね。アダチ君には感謝してもしきれません。

---本当に濃密な時間だったのですね。1000テイクには驚きました!
参加ミュージシャンがたくさんいらして、ゴージャスなサウンドにワクワクしたのですが、皆さんどのような繋がりなのですか?


大森:全員友人ですね。レコーディングを始めた頃ライブのサポートをお願いしていたのが(Noriyuki)Sugataさん、(クマガイ)トウゴ君、みんみん、ナカジ(中嶋佑樹)、うちだあやこ、平松(稜大)君。ペダルスチールの宮下(広輔)君もその頃何度か手伝ってもらった縁ですね。

梨っちゃん(岡田梨沙)とマッキン(松木俊郎)は15年くらいの付き合いで、音を出した回数も多い2人です。「boys & girls」や「涙が出ちゃうよ」は梨っちゃんと一緒にやっていたユニットやバンドのときに書いた曲なんです。

マッキンに関しては制作費がかさんでいたこともありお願いする予定はなかったのですが、僕がネット上に連載していた制作日誌ブログを見てくれて「是非弾かせてよ」と連絡をくれました。
彼がかつて在籍していた「ソウルパウダードレッシング!」というバンドがあるんですが、僕は大好きで彼らみたいな曲を書きたいと思っていて。それで当時書いたのが、今回収録している「涙が出ちゃうよ」だったんです。なのでその元ネタとも言えるマッキンに弾いてもらうという贅沢すぎる夢が叶ってしまいました。

あとは1曲ずつの参加でしたが、北山(昌樹)さん、あまのさくや、バンド「楽しいよふかし」のみんなは、それぞれ過去にライブで演奏したことのある曲を収録することになったので、当時にちなんだメンツで残しておきたいなあということでオファーしました。

---先程のお話と少し重複しますが、コロナ禍の中でのレコーディングは、リモートやデータのやりとりだったのでしょうか?それともスタジオで?

大森:運が良かったのですが、僕のパートを除きほぼすべての録音がコロナ前に録り終えていました。本当に危なかったですね。自分のパートは自宅で作業する内容だったのでコロナ禍関係なく作業できました。

ミックスはさっきも言ったようにほぼリモートでした。マスタリングもよしむらひらく君にオファーしましたが、データのやり取りで行いました。

---春にぴったりなアルバムと感じました。パアッと花が咲くような、それでいて一曲一曲聴くとそれぞれに物語があって、切なくなったり共感したり、楽しくなったり。
とても聴きごたえがあり、長い映画を観たような気持ちにもなりました。


大森:本当長い映画みたいですよね。12曲入り60分ですから。7分越えや6分に近い曲もあったりして。歌詞も詰め込んでいるのでちょっと疲れてしまわないか心配です(苦笑)。

1つ1つの曲の内容はつながっているわけじゃないんだけど、なんとなく流れが見えるようにしたいなと思って並べてみました。
冒頭2曲とラスト2曲が“歳相応”のイメージで。その間に挟まれた歌は恋愛小説の短編集みたいな感じで。恋が終わってまた新しい恋が始まって。そうやって大事なものに気づいたり過去を思ったりしながらラスト、つまり現在に向かっていくような。

僕の個人的な好みですけど、「ちょっとコンセプト」くらいの感じが大好きなんです。ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』とか、ミスチルの『深海』とか。

今回の作品もそれぞれ独立した楽曲ではあるんですけど、たとえば12曲目のタイトルである「旅するように」っていうワードが1曲目の歌詞に出てきたり、この1曲目はアルバム全体のイントロ的な役割にもなっているんですけど。
あとは2曲目と12曲目の両方に「君のメモ」的なものが登場したりとか。それから明け方から朝にかけての空の色が裏テーマ的にいろんな曲の中で描かれていたりとか。曲同士は繋がってないんですけどね、その程度がいいかなと。繋がっているような繋がっていないような。
あとは全体の流れが気持ちよくなればいいなと思ってこういう形になりました。

---元気が出るなあと思ったのは「サクラサク」とか「リフレイン」。何か突き抜けたような力強さを感じました。

大森:ですね。そんなわけでアルバムの中盤は失恋系が多いのに対して、後半は吹っ切れていくんですね。
ただこれは昔からの癖っていうか、性格なんですけど前向きな曲の中にもマイナス要素をたっぷりと入れ込んでいる。「冬が寒ければ寒いほど」とか「つまらないことで臆病になったから」とか。
「リフレイン」も前に向かって進んでいく強い歌なんですけど、何があったの?ってくらい暗い(笑)。「僕を動けなくさせる」とか「取り返しがつかない」とか言ってるし(笑)。

---若い時のキュンとした気持ちを思い出したのは「恋のはじめの夜の長さよ」「メランコリー」です。最近心に潤い足りないので(笑)、「ああ、こういう気持ちっていいよね!」ってしみじみしました。

大森:心に潤い......(笑)。僕もそういう気持ちは忘れたくないなと思ってこういったラブソングを書きました。「恋のはじめ」は、最初もうちょっと中学生っぽい感じで、それも捨てがたかったんですけど半分くらい直して今の歌詞になりました。

「メランコリー」は女性目線で書きました。僕にしてはチャレンジです。僕は70年代のフォークが好きなんですけど、女性目線の歌詞を男性が書いて歌うっていうのがわりと普通にたくさんあるんです。
でも女性から見ると「そんな子いないよ」って思ったりもするらしくて。その違和感ていうか、妄想感?も言ってみれば魅力の一つかもしれませんね。

---「残像のブーケ」「ぼくの愛する暮らし」「旅するように歌うのだ」は、"大森さんの現在地なのかな?年齢を重ねてこその歌だなあ"と共感しました。

大森:アラフォーならではの人生の歌とも言えるかもしれませんね。
最初に言いましたけど、大森元気じゃなくてソロプロジェクトにすることで、僕個人をあまり目立たせないような曲を作ってみようっていうのが始動するとき思っていたことだったんです。けど、これらの歌に関しては割と大森元気が見えちゃってるかも知れません。

でもまあ、いろんな人に当てはめてもらえるように書いたつもりではあります。特に僕らの世代には共感してもらえるんじゃないでしょうか。ありがたいことに実際そういう声をたくさんいただいています。
実をいうと等身大的な歌は別のアルバムに取っといて、全曲架空の妄想ソングにしたほうがいいのかなぁなんて一瞬迷ったときもあったんですけど、そうしなくて良かったです。

制作の4年半の間に、同世代の曲、それからもっと上の60〜70年代の曲もたくさん聴きましたけど、同時に髭男(Official髭男dism)とか乃木坂とかあいみょんさんとか星野源さんとか今流行っている音楽もいろいろ聴いていたんです。単純に好きになったっていうのもあるんですけど、若い人にも通用するような作品にしたいという気持ちも少しありました。
けどリリースしてみて反応を色々もらうと、やっぱり同世代の共感がダントツに多くて。まあそうだよなあと納得したりはしていますね。

---大森さんの曲作りについてですが、詞が先ですか?物語を紡ぐような感じがしましたが、どのようにアイディアが浮かんでくるのか気になりました。 作曲するときはどんな楽器で作るのですか?

大森:両方ありますけど、どちらかというと曲から先のことが多いです。歌詞は歌詞で思いついたときにメモしたりはしていて断片的なものはたくさんあるんですけど、あんまり見返したり積極的に使ったりはしないですね。

メロディーは自然に降りてはこないので机に向かって書きます。ギターが多いけど時々ピアノでも作ります。あと自転車乗ってるときは鼻歌でいろいろ浮かぶんですけど、そのとき気持ちいいだけで終わりますね(笑)。

物語を紡ぐような歌詞と言ってくださいましたが、「恋は終わってしまった」は男性と女性の視点が交互に出てきて、出会ってから別れるまでを季節の変化とともに描いてみました。交互に登場させることにより、彼と彼女で少しずつ物事の捉え方にズレがある。そんなことを描けたらなと思って書きました。

さっきお話しした、女性目線で書いた「メランコリー」もそうなんですけど、「自分自分」してない歌詞を書きたいモードでしたね。そういうところも大森元気ではなくソロプロジェクトにしたかった表れなんですけど。

---アレンジについては、今回大勢のミュージシャンが参加していますが、メンバーと一緒に考えることも多いのですか?それとも一人でカッチリ作り込むタイプでしょうか。

大森:両方のいいとこ取りですかね。アイデアを色々ともらってそれらを組み立てていくような感覚ですね。「それいただきました!こう使わせてもらいます!」的な感じ?特に今回はさっきも言ったように録ったあとで自分パートの試行錯誤がかなりあったのでそれでアレンジもどんどん変わっていきました。

全員正規メンバーのバンドだとそうはいかなくて、それぞれのこだわりがあるから自由に料理なんてできないですよね。全員対等でぶつかったところに化学変化があって。よく言いますよね、1+1+1が3ではなく10にも100にもなる的な。その魅力も知っていて、正規メンバーによるバンドにこだわっていた時期も長かったんです。でも僕は喧嘩も下手だし(苦笑)経験と年齢を重ねて今はこの形がすごく理想的だと思えます。
ただしソロっぽくしすぎないというか、バンド感まで含めて演出...?構築するのが好きなので、結局バンドに幻想を抱いていたりします。

---ここからはプライベートなお話をお伺いします。
大森さんはいつ頃から、どんな音楽を聴くようになり、音楽を好きになっていったのでしょうか?楽器に触れたのはいつ頃からですか?


大森:幼少の頃から家で音楽が流れていました。両親は70年代に青春時代を送ったいわゆる団塊の世代で、日本のフォークや、ビートルズなどの音楽が多かったですね。と言ってもその時期は意識して聴いていたわけではなかったです。

幼稚園の年少からピアノを習い小6までだから9年かな?やりました。やってたのはクラシックだったんですけど、小学校にあがるとTVで流れてる曲とかを聴いてすぐ耳コピできたので、適当に伴奏をつけて演奏するっていうのが好きで教室でもやってましたね。「絶対音感」はなくて「相対音感」のほう。適当だったらいろいろ弾けるんですけど完コピは苦手という。これは今もですね。

ギターは小6の秋からで作曲は中1の夏休みから。家から親のアコギが見つかって、それが今でも使ってるK.Yairi製のアコギなんですけど、そのタイミングでフォークやロックに目覚めました。最初のきっかけは南こうせつさん。それから伊勢正三さん、吉田拓郎さん、さだまさしさんあたりは特にハマって、現在に至るまで30年ずっと日常的に聴いています。
言うまでもないですけど彼らは70年代に活躍した後も現在までずっとライブやリリースを続けているのでもうずーっと追いかけている感じです。彼らのいろんな時代のアルバムをくまなく聴いていると、その時代その時代に流行っていた洋楽のアレンジとか、楽器の音色とかも一緒に学べるのでそういうことも今の自分を作っていると思います。

フォークのほか、洋楽ではビートルズやサイモン&ガーファンクル、PPM(ピーター・ポール&マリー)とかもよく聴きました。これらも親の好みをそのまま受け継いだ感じです。

---学生時代は、どんなジャンルやアーティストを聴いていましたか?

大森:小学生時代から引き続き中学でもフォークとビートルズですね。先生や友人達をまきこんでフォークソング部を設立したりしました。
あとビートルズの青盤と赤盤をカセットにダビングしてクラス中に配ってました。それで一時的にクラスでビートルズが突然大流行するという現象が(笑)。

高校になるとようやく同時代のバンドものにハマり始めました。高校2年からは完全にスピッツ信者で、曲も髪型も全部似ちゃいました(笑)残像カフェで一緒だった澤田くんが同じクラスだったんですけど、彼の部屋で聴かせてもらったのがきっかけです。

大学のときにはくるりにハマってライブによく行っていました。あとはサニーデイ・サービスやホフディラン、クラムボン、フィッシュマンズあたりはすごく好きでした。
それから70年代のロック、特にはっぴいえんど周辺ですね。それ以前から知っていましたがハマったのは大学のときでした。そのあと組むことになる残像カフェの音楽性に大きな影響をもらいました。荒井由実さんや先日惜しくも亡くなってしまいましたが小坂忠さんもその流れで。
あとはエンケンさんとか高田渡さんとかはちみつぱいとか。

ちなみに部活も音楽系で。全然違うんですけど、中学と高校はオーケストラ部に在籍していました。中学がチェロ、高校がバイオリン。長続きしない(笑)。
今回のレコーディングではストリングスのアレンジを2曲やったのですが(アルバム1曲+シングルのみのミックス1曲)、その頃の経験が生きましたね。あとは大学では一時期ジャズ研でギターを弾いていました。アドリブでセッションしていくっていうのはロックでもジャズでも好きなんです。

---趣味については、最近どんなことがお好きですか?

大森:4年半制作をしながら並行して仕事も家庭もあったりでなかなか自由な時間も取りにくかったのですが、移動中にスマホで映画を見るようになりました。昔は途中でやめて続きは明日ってのが嫌だったんですけど最近は大丈夫になりました。

ブログやCD封入のライナーノーツにも書いたのですが、今泉力哉監督の「パンとバスと2度目のハツコイ」はお気に入りになりました。「絵を描くときにだらだらといつまでも描いてしまう。いつ完成とすればいいのか」ということについて語る場面があって、直接的にストーリーとは関係ない部分なんですけど、自分の制作が泥沼無限地獄の時期だったので(笑)リンクする部分がありました。

恋愛映画で、しかもちょっと変わった恋愛観が描かれているんですけど、哲学的な部分もあって。あとうまく言えないんですけど、間(ま)だったり、ほんのささいな描写とか、ストーリーと直接関係ない演出だったりとか、見てる人みんなは気づかないようなことも自分的にはツボが多くて、とても好きな作品と出会ったなあと。

---このWEBマガジンでは、ご登場下さる方の「Cheer Up!ミュージック」を伺っております。大森さんについても、ぜひお伺いしたいです。

大森:大久保一久さんという方がいまして、「なごり雪」や「22才の別れ」を作った伊勢正三さんとともに70年代「風」というデュオを組んでいた人です。昨年惜しくも亡くなってしまって、本当にショックでしばらく引きずっていました。彼が風時代に残した歌で「風をたずさえて」という歌があって。

何のとりえもないサラリーマンの歌なんですけど、東京へ出てきて、まだ結婚するような相手もいない。毎日同じスーツを着て、変わらない毎日に疲れている。でも汗水たらして働いてる姿を笑う人はいないだろうと歌われる。そして「この街に住んでみせるんだ」ってちょっと熱い歌詞で歌が終わる。

この歌にどうしようもなく励まされるというか、力をもらえるんですね。上京した頃のことも思い出すし、仕事でうまくいかないときにも当てはまる。
それでちょっと余談なんですけど、そういう歌を書きたいなと思って書いたのが今回のアルバムのリード曲になっている「ぼくの愛する暮らし」なんです。
メロディーは違うし、独身じゃなく家族を持った男の歌にしましたけど。曲調とか向いてる方向みたいなものはちょっと共通性があるかもしれません。
ちなみに余談ついでに、同じく風の、こちらは伊勢正三さんの代表曲ですが「ささやかなこの人生」のアレンジのオマージュも混ぜ込んだりしています。

---ちょっと気が早いかもしれませんが、残像のブーケの2ndアルバムの構想などはもう考えていらっしゃいますか?

大森:そうですね、そろそろ考え始めようかなと思っています。もっと早く考え始めてもよかったんですけど、次のことを考えてしまうとそっちに気持ちがいってしまうのが怖くて、あえて考えていませんでした。

曲はまだ作ってないんですけどこんな曲を作ってみようというアイデアはいろいろあります。それをどういうふうにまとめていくか、アルバムの方向性みたいなものはまだもうちょっと後に決めたいですね。しばらくは思いのまま作っていって、そのうち見えてくるかなと。

---2022年のご予定、今後の夢など教えてください。

大森:最終的な音ができたのが1月でしたが、そのあとも共同でデザインをしたり、CD関係の発注したり、配信の手続きをしたり、それが終わったらMVやいろんな動画を作り、プロモーションも自分としてはかなりやって。そんな感じでずっとバタバタと動き続けてまして、まだそれが続いている感じです。

でもまもなく一区切りですね。CDをお店に置いてもらったり、自分のとこ以外のネットショップでも買ってもらえるようにしたいというのが、まずやらなきゃいけないことですね。
あとMVかリリックビデオをもう1つか2つくらい作りたい気持ちはあったんですけど、タイミング的にも予算的にもどうかなと迷い中です。

あとはやはりライブが全然できていないのでその計画ですね。コロナとの兼ね合いもあるのでまだ積極的に動けていないのですが、1人でもあちこちで歌って、満を持してバンド編成でレコ発ができればいいと思っています。

それを考えると次回作に取りかかれるのはさらに先になりそうだなぁ。今年は難しそうですね...(苦笑)。

今回「録り始めから4年半」って何回も言ってますけど、オリジナルアルバムのリリースってことで言うとなんと8年半かかってしまってるんです。
次はささっと録って「え、早っ!」ってびっくりさせたい気持ちもあるんですけどね。やっぱり時間はかかっちゃいそうですね...。

今後の夢ってことでもないんですけど、やっぱりもっともっと知ってもらいたいということです。
今回プロモーションを自分なりにいろいろやりました。この20年間でお世話になったミュージシャン達や関係者の皆さんにも連絡をとって聴いてもらったりもして。その結果、残像カフェ時代ぶり、つまり15年ぶりとかに聴いてくれた人とかがたくさんいて。「おかえり」なんて言ってくれる人もいたんですよ。
その間の15年くらいもずっと活動はしていました。それが無駄だったとかは決して思わないですけど、今回あたかもカムバックしたみたいな空気になれたので、これを維持していかないとと思っています。じゃないと今回の成果が水の泡になってしまうので。
そして願わくはもっともっと色んな人に知ってもらって、広げていけたらなあと思います。頑張らないとですね。

---大森さんの歌がまた聴けて本当に嬉しいですし、もっともっと新しい曲も聴いてみたいなあと思える素晴らしいアルバム。どうもありがとうございました。










『残像のブーケ』残像のブーケ

1.残像のブーケ
2.ぼくの愛する暮らし (album mix)
3.メランコリー
4.boys & girls (album mix)
5.恋は終わってしまった
6.群青色
7.涙が出ちゃうよ
8.恋のはじめの夜の長さよ
9.サクラサク
10.ブランケット・ブルース
11.リフレイン
12.旅するように歌うのだ

2022.3.30 CD先行発売
2022.4.19 Digital Release
レーベル:OURLIFE MUSIC
規格品番:OLM-017
12曲入 \2500(税込)

紙ジャケ仕様 歌詞+セルフライナーノーツ付
2022.4.19 配信解禁 OLMD-017

【参加ミュージシャン】
Noriyuki Sugata (Ds)
岡田梨沙(Ds, Cho, Per)
宮下広輔(Pedal Steel)
松木俊郎(Ba)
クマガイトウゴ(Ba)
アダチヨウスケ(Ba, Cho)
みんみん(Organ, E.Piano, Cho etc)
中嶋佑樹(EG, Piano, Cho etc)
平松稜大(AG, Cho etc)
うちだあやこ(Cho etc)
北山昌樹(Ds)
あまのさくや(Cho etc)
楽しいよふかし[vano+キク地ユウタロウ+わ央]

【REC & MIX】
アダチヨウスケ(Studio A.D.C.)
水野敏宏(MOMO Studio)
大森元気

【MASTERING】
よしむらひらく(スタジオローサ)

【作品情報】
大森元気(ex.残像カフェ/あがた森魚サポートetc)の新ソロプロジェクト「残像のブーケ」。3曲の先行デジタルリリースを経て、初のフルアルバムが完成。録音開始より4年あまりの年月を制作に費やした渾身のデビュー作。


OURLIFE MUSIC ONLINESHOP
https://ourlifemusic.thebase.in/




◆【大森元気 プロフィール】


2000代“残像カフェ”のギター・ボーカル・コンポーザーとして活動、2010年解散後はオルタナカントリーロックバンド“花と路地”やソロでの活動に加え、あがた森魚のサポート等でも活動。2020年新プロジェクト「残像のブーケ」を始動。

<残像カフェ時代>
●2002年、スリーピースバンド残像カフェ『素敵日和』(Coa Records) でデビュー。60〜70年代の和/洋ロックやフォーク、ポップミュージックを独自に解釈した楽曲と若者特有の心情を叙情的に描いた歌詞、音源からはみ出すようなアグレッシブなライブパフォーマンスなどが話題となりインディーズシーンで大きな支持を獲得した。

●『3月のシーン』『4月のことば』『めくるめく僕らの毎日』など合計8タイトルの作品(ミニ・マキシ・ベスト含む)をリリース。その他、多数のコンピレーションにも参加。また雑誌・TV・ラジオなど多数メディアへ露出し、全国主要都市でのライブなど精力的な活動を行った。

●フジファブリック、メレンゲ、アナログフィッシュ、ビューティフルハミングバード、Clingon、東京60watts、初恋の嵐、D.W.ニコルズなど同時代アーティストとの競演に加え、早川義夫、鈴木慶一などレジェント達との競演や、自身の音楽を始めるきっかけとなった南こうせつ氏のラジオ番組に出演、 2007年にはかぐや姫2ndアルバム「おんすてーじ」再発盤 封入ライナーノーツ執筆なども実現。

<自主レーベル・新バンドでの活動など>
●2008年、自主レーベルOURLIFE MUSICを設立。以降現在まで定期的なリリースを続ける。
●2010年残像カフェ解散、オルタナカントリーロックバンド「花と路地」結成。
●またギタリスト・サブボーカルとして参加した中華DUBバンド「泰山に遊ぶ」にてFUJI ROCK FESTIVAL2010、沖縄アジア音楽祭などの野外フェスにも出演した。


<ゲストワークスなど>
●佐島由昭 監督による映画「笑顔の向こう側」(2013)、「GREEN MY HOME」(2015)、「遠くの窓からこんにちは」(2020)の劇伴音楽を担当。
●2013年より現在に至るまで、あがた森魚のライブおよびレコーディングに多数参加中。2022年4月現在参加作品は14タイトルにのぼる。
●2019年、映画『嵐電』(監督:鈴木卓爾/主演:井浦新/音楽:あがた森魚)のエンディングテーマにコーラスで参加。同作の舞台挨拶&ミニライブや関連イベントなどにも参加。

<残像のブーケ>
●2020年6月、新たなソロプロジェクト「残像のブーケ」を始動。よしむらひらくによるコロナ禍支援コンピ「いちばん遅く、いちばん長い vol.1」に「ぼくの愛する暮らし」で参加。
●同年12月、 アルバム先行シングルとして「boys & girls」をデジタルリリース。
●2021年、先行リリース第3弾として「旅するように歌うのだ」をデジタルリリース。この楽曲のMVは、かつて自身が在住した北鎌倉にて完全セルフ撮影した作品。
●2022年3月、1stアルバム『残像のブーケ』CD先行リリース、4月配信解禁。


残像のブーケ Official Website
https://zanzow-no-bouquet.jimdosite.com/
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https://twitter.com/oomorigenki
Instagram
https://www.instagram.com/zanzow.no.bouquet_oomorigenki/
YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCnwZSQv39EqTqVLI4Y41VmQ?view_as=subscriber


<Cheer Up!関連リンク>

特集 Cheer Up! Chrismas 寄稿(2019年)
http://www.cheerup777.com/xmas2019/xmas2019-2.html
新譜情報 『魔法を信じるかい?』花と路地(2013年)
https://ameblo.jp/cheerup2009/entry-11588256518.html
Cheer Up!コラム寄稿(2013年)
http://www.cheerup777.com/column9.html



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