今回から「オーケストラの響き」と題して、オーケストラの団員にご登場頂きオーケストラでの生活や音楽人生についてじっくりお伺いするインタビュー企画が始まった。まずは地元、仙台フィルハーモニー管弦楽団(以下:仙台フィル)の方々にご登場頂き、いずれいろいろなオーケストラの方にご登場願えればと思っている。

記念すべき第一回目のお客様は、トランペット奏者の戸田博美さん。Cheer Up!みやぎの「私の吹部時代」にも第一回目にご登場頂いており、新しい企画にいつもご相談させて頂くサイトの常連さんになって下さっている。
戸田さんには、ふだんオーケストラの団員の方はどのような生活をしているの?という素朴な疑問にお答え頂いたり、学生時代の吹奏楽部のお話について、また不思議な縁に導かれての音楽人生についてたっぷりとお伺いした。ぜひゆっくりお読み頂ければと思う。(2018年7月)


---まずは、オーケストラの団員として過ごす生活というのがどのようなものなのか想像がつかないのですが、具体的に伺えますか?

戸田:スケジュールが月によってまちまちなので、月によって違うんですよ。会社員の方とはまた違う感じなんです。
コンサートに合わせてリハーサルを組むので、コンサートによってスケジュールが決まってきます。

オーケストラの演奏会では、やる曲によって人数が違うんですね。例えば、私はトランペットですが、曲によりトランペットは3人使うとか4人使うとか、あるいはそれ以上使うとか。
現在仙台フィルにはトランペットの団員は4人います。ある日の本番に2人しか必要ないとなると、2人余っちゃうんですけど、それで「休み」というのとも違い・・・私たちの間では「降り番」って言ってます。

昨日演奏会があったんですけど、今回のコンサートのためのリハーサルは3日設定されていました。
このコンサートに出る人は、リハーサル3日間+本番の計4日間拘束なんです。
リハーサル初日は13時からだったんですが、なぜ13時かというと、曲によっては私たちだけのメンバーでは足りなくて東京等からエキストラを呼ぶんですね。
初日から10:30開始なんてなると、向こうから来る方にとってはきついですし、指揮者も別の場所から移動してくることが多いので、初日は13時からと設定されている場合が多いです。
同じ会場で四日間という場合、次の日は10:30からになりますね。

---大きな楽団なのに人数が足りないこともあるのですね。

戸田:はい、よくあります。あと休暇をとってて休んでいる楽団員の代わりにとか、いろんなケースがありますね。

---素朴な疑問なんですけど、プロの方はパート練習などされるんですか?

戸田:基本的にはしません。ですがリハの合間に気になるところはちょっと集まって合わせてみようか?っていうことはあります。事前にスケジュールが分かったところで自分がやるべきことをちゃんと準備してリハに臨みます。簡単に言えば自己責任ですね。

---お住まいでトランペットの練習をするわけにもいかないと思いますが、どちらで練習なさっているのですか?

戸田:私の場合、日立システムズホールの地下にパフォーマンス広場という公共の迷惑にならなければ何をやってもいい場所があるんです。楽器練習してもいいし踊ってもいいし。自宅近所なのでそこで練習することが多いですね。
本当に集中したいときはどこか借りる時もありますけど、予約手続きが面倒なので・・・。
全国的にみても、ああいう風に自由に楽器を練習できるスペースってなかなか無いんですよ。
他にも練習している人がいて多少うるさいですけど、私は練習場所にこだわらないので。
学生時代はもっとうるさい環境で練習してたので、全然気にならないですね。

パフォーマンス広場が使えない時にはカラオケボックスで練習したり、リハーサルが早く終わった時にそこに残って練習させてもらったりすることもありますね。そうやって練習している楽団員もかなりいます。

---オーケーストラでは定期演奏会がメインだと思いますが、学校訪問演奏会や他県に行っての演奏会も多いのでしょうか?

戸田:そうですね。6月は関西方面で9校の小中学校を回る仕事がありました。

---学校訪問演奏会ではどんな曲を演奏するのですか?

戸田:基本的に教科書にのっている曲や、子供たちとの合唱ですね。
合唱曲は「BELIEVE」、いまだに鉄板中の鉄板です。
あとは「翼を下さい」「花は咲く」「大地讃頌」「気球に乗ってどこまでも」など演奏することが多いです。

---「気球に乗ってどこまでも」懐かしい!大好きでした。そういえばメンバーの方がかぶりものをして楽しそうなコンサートの写真をTwitterで見かけました。

戸田:ああ、あれは学校公演ではないですね。仙台フィルでは4月の頭に、赤ちゃんが来ても大丈夫な演奏会をするんです。客席で子供が泣いてても歩きまわっててもOK!っていうコンサートです。
楽器の探検コーナーとか珍しい楽器をフィーチャーしたり、芸達者な連中も多いので踊るメンバーもいたり。

---親しみやすいコンサートもあるんですね。先日は仙台駅でのコンサートがご盛況だったそうですね。
池辺晋一郎さんも指揮されたそうで行けないのが残念でした。TVの音楽番組で拝見すると楽しそうな方ですよね。


戸田:TVのまんまで、オヤジギャグをいつも連発されてます。駅コンサートの仕掛け人自体、池辺先生なんです。
「劒岳 点の記」という映画があり(2009年)、これは富山県にある劒岳に山岳測量のため厳しい吹雪の中を登っていくという映画なのですが、音楽は仙台フィルが演奏しました。
バッハの曲やヘンデルの「サラバンド」など池辺先生がアレンジして。小さい編成でオーボエソロがあったり・・・。
そのレコーディングは池辺先生が指揮して、監督もいらして、録音したんですよ。

「劒岳 点の記」(2009年)



---池辺先生と仙台フィルはご縁が深いのですね。
戸田さんはいつから仙台フィルにいらっしゃるんですか?


戸田:1990年からです。今年で28年です。

---かなり長くいらっしゃるのですね!

戸田:あっという間ですね。

---私は仙台フィル(当時は宮城フィルハーモニー管弦楽団)初代常任指揮者の片岡良和先生に高校時代、音楽の授業を教わりました。この4月に片岡先生の作品展演奏会があったそうですね。

『片岡良和作品展』
https://goo.gl/Z2R2Va

戸田:片岡先生は長年理事、副理事長として尽力されてきました。
私が入団した頃、年に一回ほど片岡先生が指揮なさっての演奏会がありましたね。片岡先生の曲もしばしば演奏してきましたし。いつだったか仙台オペラ協会で、片岡先生の書き下ろしたオペラを演奏したこともありました。





---ここからは戸田さんの音楽人生についてお伺いします。まず、ご出身はどちらですか?

戸田:生まれは広島県ですが中学生になる頃、父の転勤で埼玉県に引っ越したんです。

---Cheer Up!みやぎの企画「私の吹部時代」にご登場頂いた際、小学校時代鼓笛隊に所属なさったこと、自前の楽器を持っていたことを書いて下さいましたが、そのあたり詳しく伺えますか?

「私の吹部時代」
http://www.cheerup777.com/miyagi/suibujidai_toda.html


戸田:広島の小学校に鼓笛隊があって。集団登校のときに上級生に何気に「お前やらんの?」と誘われて入ったのがきっかけです。
それを機に叔母がトランペットを買ってくれたんですよ。
トランペットだけで十何人いましたね。運動会で行進しながら吹いたりして。

---中学校にあがって吹奏楽部に入部なさったんですよね。

戸田:小学校の鼓笛隊では基本を教えてくれる人がいなくて、めちゃくちゃな吹き方をしてたので、中学校でいろいろ教わりましたね。
一年生の時は夏のコンクールは戦力外ですから、別室で基礎練習をずっとやってました。
私が一年生の時には、先輩たちはB編成で出たんじゃなかったかな。35人編成ですね。

私が二年生の時に、初めてA編成という大編成に挑戦することになりまして。
その時は全然だめだったんですけど、私が3年生の時に地区大会でもうだめだろうと思っていたら金賞で、県大会に進めました。

---コンクールの曲は覚えていますか?

戸田:中学二年の時は課題曲は「北海の大漁歌」、自由曲は兼田敏さんの「吹奏楽のための序曲」だったかな。
中学三年は課題曲は「イリュージョン」自由曲はアルフレッド・リードの「序曲インペラトリクス」でしたね。

---そして埼玉栄高校へ進学。吹奏楽の強豪高校ですよね。

戸田:現在はそうですね。今やあんなすごい学校になっちゃってますが、私の在学中は全国大会はおろか県大会にも行けないような部でした。
私の卒業したあとに神奈川大学の小澤俊朗先生を招聘したんですよ。今の吹奏楽の指導法の大半を確立された方だと思います。
その小澤先生を外部講師として迎えてから変わったようです。

私の一学年下と二学年下に、恐ろしく耳が良い人が二代続けて出て、彼らもかなり頑張ってて。今の埼玉栄高校の基礎を築いたといっても過言ではないと思います。
その二人は現在優秀なバンドディレクターとして全国を飛び回ってます。
そのうち一人は宍倉晃といって、吹奏楽のアレンジでもかなり活躍していますよ。

私は一年生のとき地区大会銅賞、二年生で銀賞、三年生でようやく県大会に行けたんだけどその先には行けなくて。
高校一年では天国も地獄も経験しました。

---えっ、天国と地獄ですか?

戸田:私が入学してすぐ、埼玉栄高校創立以来の海外公演があったんです。
アメリカ オクラホマ近辺の3つの衆をまたいだミュージックフェスティバルがあって、日本の学生バンドを招待したいということになって。
兼田敏さんの「パッサカリア」「わらべ唄」、櫛田胅之扶さんの「火の伝説」など日本的な曲をやりましたね。
オープニングにはアメリカ国歌とか「カールキングのマーチ」とか「星条旗よ永遠なれ」もやりましたし、ロサンゼルスのバンドとの公開演奏会などもやりました。
でも、そのあとコンクールで地獄を味わったというか・・・。

---今では考えられないことですよね。

戸田:そうですね。でも、なんだかんだいっても顧問の大滝実先生の存在は大きかったですね。
先生はもともと国立音楽大学声楽科の出身なんですよ。埼玉栄高校が開校すると共に着任されたんです。

---その後戸田さんは尚美学園短期大学東京コンセルヴァトワール尚美に進学。戸部豊先生に師事なさったとのこと。
戸部先生はどんな方ですか?


戸田:戸部豊先生はいくつかのオーケストラで演奏されてまして、代表的なのは日本フィルや新日本フィルなどで首席奏者を務められて、武蔵野音楽大学で教鞭をとられて。ご自身のソロリサイタルを開催されて。
日本でトランペットのソロのリサイタルを初めてやったのが戸部先生だと言われています。
現在80歳なんですけどいまだに演奏活動を続けていらっしゃいます。
奥様がピアニストでお2人で教会での演奏会中心で、昔と変わらないお元気な演奏をされています。
私が尚美学園にいた頃ちょうど教えていらっしゃいまして、四年間戸部先生のもとで学ばせて頂きました。

---戸田さんが尚美学園を選ばれた経緯は?

戸田:実は私、高校卒業してから一年ぐらい何もせずぶらぶらしてたんですよ。
ある日、高校一年の時の三年生で、しかも部長だったホルンの先輩から突然電話がきたんです。
「いまお前の家の近くのファミレスにいるからすぐ出て来い」って。

「先輩、お久しぶりでございます」「座れ。いま何やってんだ?」
「何もやってません」「じゃあ尚美に来い。明日学校見学な。正面玄関から真っ直ぐのところにエントランスホールがあるから、そこで俺は待ってる!来なかったら、後日連れに行くからな!」
「はっ?」ってポカーンとしてましたよ。

---すごい。濃い先輩ですね。

戸田:「お前から楽器をとったら何が残るんだ?何も残らないだろう。だからお前は俺と一緒の学校に入って俺と一緒にアンサンブルするんだ!わかったな?」
「はっ?」
・・・それがなかったら今の私はなかったんじゃないかなって思いますね。

---ちょっと強引な先輩にびっくりしつつも、いいお話ですね。

戸田:かなり強引ですね。とってもかわいがって頂きました(笑)。学生時代もチューナーの前に連れていかれて「高い!」「低い!」とか・・・。

ある意味、その人と出会ってしまったから運命が決まってしまったのかなと言っても過言ではないですね。
先輩は現在アマチュアの吹奏楽団をご自分で主催されたり、今でもホルンを演奏してます。

---尚美学園で四年間過ごされてトランペットを学ぶ日々、吹奏楽団やオーケストラに入って演奏もされていたのですか?

戸田:吹奏楽の授業はありましたが、当時の尚美はオーケストラがなかったんですよ。今はありますけど。
オーケストラをやったのは、仙台フィルが初めてだったんです。

---意外ですね。その後、仙台フィルに入られた経緯を教えて頂けますか?

戸田:オーケストラに入るためにはオーディションがあるんですが、それはいつどこでやるのかは分からないんです。
募集は基本公募ですが、募集がいつ出るかも分からなくて。
オーケストラを大きくするために増員するか、欠員が出るかじゃないとオーディションすら開かれないんですよ。

---入ってみたいオーケストラはありましたか?

戸田:多少はありましたけど、オーディションに通らないことにはどうにもならないですからね。
トランペット奏者募集となったときにオーディションを片っ端から受けるしかなかったんです。
あの当時はネットもないし、学校に募集要項があまり貼ってなかったので、他の学校の掲示板も見に行っていましたね。

私はいくつ受けたっけ? ・・・5つですね、5回目で仙台フィルにご縁を頂きました。
運が良かったとしか言い様がないです。
いまや自分の人生の中で、広島県、埼玉県に住んでいた時期よりも仙台に住んだ時期が一番長くなりました。





---現在、若林区吹奏楽団常任指揮者音楽監督をなさっているそうですね。ご縁の繋がった経緯を伺えますか?

戸田:これもまた不思議なご縁なんです。
仙台フィルの事務局に、私と連絡をとりたいという問い合わせがあって。
トランペットのレッスンをしてほしいということでした。
何度もレッスンしているうちに「先生、実はフランクな感じで集まってる吹奏楽団があるんです。ちょっと遊びに来ませんか?」
それでたまに練習に遊びに行くようになったら指揮する機会を頂いて。
指揮はやったことがなく、分からないことばっかりだったんですけど、やってみるとまた違った発見が多くて。
でも、これを職業にしている人はすごいと思いますよ。プレイヤーで吹いてるほうが楽です(笑)。

---埼玉県の大宮吹奏楽団音楽監督もされているんですよね。

戸田:これは、私を尚美に誘ったあの先輩が絡んでるんですよ。
大宮吹奏楽団はその先輩が立ち上げたといっても過言ではなく、先輩は気の合う仲間で金管アンサンブルをやってたんですが、そこが発展して大宮吹奏楽団になったんです。

大きなきっかけになったのは、東日本大震災の年です。
あのとき仙台フィルのスケジュールは全部吹き飛んで、でも何もしないのもなあ・・・と思っていたら、私が使っている楽器の卸元である東京の楽器屋さん、野中貿易の系列のお店にコンサートスペースがあり、お願いしたところ、ほぼただ同然で貸して頂けてコンサートをすることになりました。
そこで人集めするのに先輩に相談したら、「じゃあまずは俺のやってる大宮吹奏楽団でファミリーコンサートをやるから、そこに来て1,2曲ソロ吹けよ」と言われて。
そこで募金活動してくれたんです。

で、先輩が「お前、バスドラム叩けるか?」「できませんよ、そんな難しいもの」
「じゃあ指揮はできるか?課題曲のマーチだから大丈夫だよ」って、ほぼ初見で「ひどい!」と思いながらスコア見ながら指揮して・・・ちなみに「南風のマーチ」でした。
その後先輩からメールが来て、「夏の吹奏楽コンクールの指揮者、お前に決まったからよろしく!」「は!?」って(笑)。
そういう形で先輩が作ってくれたんですよね。

---震災後、仙台フィルはやはりしばらく動けなかったのでしょうか?

戸田:あのときは7月に入るぐらいまでスケジュール決められなくて、流動的に単発にいろいろなものが入ってきてたんです。
あの当時使えたのは常盤木学園のホールとか電力ホールぐらいでしたか。仙台ではほとんど演奏出来なかったですね。

震災の一カ月後、オーケストラアンサンブル金沢が、うちと一緒にやりませんか?と言ってくれて金沢で合同演奏しました。まだ新幹線も使えずみんなでバスで行きました。でも正直、こんなときに仙台を離れていいのかなあと思いましたね。
金沢で、震災後初めてフルオーケストラで演奏しました。

その後、東京のサントリーホールが突然ポコッと空いたんです。それで在京の演奏家の皆さんが立ち上がって、仙台フィルも呼んで支援しようということになり、大御所の方々も立ち上がって下さいました。

前半は徳永二男さんと堤剛さんがドッペルコンチェルトを弾いて、ヴァイオリンの漆原朝子さんやピアニストの小山実稚恵さんも演奏されました。
しかも信じられないのが、徳永二男さんや堤剛さんが自分のソロを弾きおわったあとにオーケストラの中に入ってみんなと演奏するんですよ。普段じゃあり得ないんですけど、徳永さんが1stヴァイオリンの真ん中あたりにいらして!普通なら一番前にいなきゃいけない方が!
堤剛さんがチェロの一番後ろにいたりとか。漆原さんも2ndヴァイオリンの一番後ろにいたり。
有志のメンバーでも在京オーケストラから多くのプレイヤーがいらっしゃいましたね。
オーボエの宮本文昭さん、実は宮本さんは仙台フィルの西沢澄博くんのお師匠さんなので駆けつけて下さって、ほんとに多くのプレイヤーが参加して下さいました。演奏会の最後はベートーヴェンの7番だったんです。

参考:『東北応援チャリティ・コンサート〜仙台フィルとともに〜』
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=14497





---戸田さん、普段はどんな音楽を聴いていらっしゃるんですか?

戸田:これを言うと叱られるかもですが普段はクラシックとかトランペットの曲はあまり聴かないんですよ。仕事モードになっちゃうから。
街でオーケストラの音楽が耳に入ってくると「来た来た来たーー!」って(笑)。

---Cheer Up!ミュージックというか、元気の出る歌謡曲やJ-POPなどありますか?このWEBマガジンでインタビューさせて頂く方にはの恒例の質問なんです。

戸田:森口博子さん大好きなんです!ガンダムのテーマ「ETERNAL WIND」とか。
あと同世代の歌手で好きなのは本田美奈子さん。彼女のミュージカル「ミスサイゴン」の「命をあげよう」とか、「レ・ミゼラブル」の「on my own」等、すごく素晴らしくて・・・。

あともう一つ、私のすごくテンションあがるのは「宇宙戦艦ヤマト」が大好きなんです。
「宇宙戦艦ヤマト」で使われてる全ての曲が好きです。音楽がかなりシンフォニックですね。この話になると止まらなくなります!

---今後の展望や夢を伺えますか?

戸田:もちろんオーケストラが一番メインですが、自分のコンサート、小さいコンサートでもいいから増やしていきたいですね。ピアノとのデュオなど時々やっているんですよ。
あとはいろんなことに挑戦したいですが、野球の大谷くんの二刀流みたいに二刀流のコンサートをやってみたいです。前半は自分のソロ、後半では大きい曲を指揮するとか。

---すごいですね!そのコンサートの実現を楽しみにしております。
本日は長いお時間、どうもありがとうございました。



(戸田博美よりメッセージ)
この度西日本豪雨により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私も広島県出身者として現在支援コンサート等を演奏家仲間と共に計画しております。(2018年7月11日現在)
被災された皆様が一刻も早く穏やかな日常を取り戻せます事を。また一刻も早く復旧が進みます事を切に願わずにはいられません。
どうかご支援よろしくお願いいたします。




戸田博美 プロフィール:
広島県出身。私立埼玉栄高校。尚美学園短期大学音楽学科および東京コンセルヴァトワール尚美音楽社会研究コース卒業。
第8回埼玉県新人演奏会出演。
現在公益財団法人仙台フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。
若林区吹奏楽団常任指揮者音楽監督。
大宮吹奏楽団音楽監督。
トランペットを奥山泰三。戸部豊各氏に師事。

仙台フィルハーモニー管弦楽団
https://www.sendaiphil.jp/

若林区吹奏楽団
http://wakasui2.web.fc2.com/

大宮吹奏楽団
http://www.omiya-w.sakura.ne.jp/omiya-w/


♪最新演奏会情報

戸田博美コンサート



2018.8.6(月)19:30スタート(19:00開場)
JAZZ ME BLUES NoLa
宮城県仙台市青葉区錦町1-5-1 ノーバル・ビル1F
料金3000円(1ドリンク付き)

戸田博美(Tp)
Yoko.Yamada.Selvaggio(Piano)

仙台フィルハーモニー管弦楽団 サマーフェスティバル2018 MOVIEセレクション!!
2018年7月28日(土)
午後3時開演(午後2時15分開場)
東京エレクトロンホール宮城

指揮:鈴木 織衛
ゲスト・ヴォーカル:大山 大輔
ナビゲーター:柴田 秀一

「スター・ウォーズ」より メインタイトル
「アナと雪の女王」より
「ニュー・シネマ・パラダイス」より
「他人の顔」より
「ファンタジア」より デュカス:魔法使いの弟子
「E.T.」より
「シンドラーのリスト」より
「オペラ座の怪人」より<ミュージック・オブ・ザ・ナイト>
「レ・ミゼラブル」より<スターズ>
「ハリー・ポッターと賢者の石」より

※ご予約・詳細はこちらでご確認お願いいたします。

仙台フィルハーモニー管弦楽団 コンサート情報(最新演奏会情報はこちらから!)
https://www.sendaiphil.jp/concerts/




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