今回ご登場頂くのは、magoo swim(マグースイム)のボーカリスト・ソングライターとして活動し、1999年にはSMAPの人気曲「Fly」を作詞作曲したことでも知られる野戸久嗣さん。
現在はボイストレーナーとしても広く活躍されている。
そんな野戸さんにお会いして、最近の活動、大変興味深い音楽ヒストリー、ボイストレーニングに関するお話などたっぷりお伺いした。(2017年1月)


---まずは野戸さんの近年の活動についてお伺いします。
magoo swim(マグースイム)解散後は、UhVanNoiz(アーバンノイズ)というユニットで活動されていますね。


野戸:2004年ぐらいからかな、以前にSMAPに曲(「Fly」)を書いた時、その曲のレコーディングでベースを弾いた岡雄三さんと二人で始めたんですよ。
元々そんなにパーマネントに活動していたわけではなく、音源作ったりとかしてたんですけど、途中で岡さんが忙しくなり、名前だけ僕が引き継いで。

---そうなると今は野戸さんのソロですか?

野戸:ソロユニットみたいな感じで、メンバーは流動的に年に数回ライブをやってたんですけど、2016年からはUhVanNoizという名前から野戸久嗣の名義に変えてライブをやってます。何も変わりはないので(笑)。

2016年は6月に3組(中村ジョー&イーストウッズ、入江陽トリオ、野戸久嗣)でイベントをやりましたが、それ以来ライブは弾き語りしかやってないですね。
今、ソロアルバムを作ってる最中なんです。

---ソロアルバム!楽しみですね。見通しは2017年中ですか?

野戸:そうですね。どこかに所属してるわけでもないので、とにかく原盤を作ってしまおうということで。

---野戸さんといえば近年はボイストレーナーとしてもご活躍されていますね。

野戸:ボイストレーナーとか、音楽関係者から頼まれたらレコーディングに行ってボーカルディレクションをやったりもしています。

2014年には、「本当に歌がうまくなる1ヵ月ボイトレ・プログラム」というボイストレーニングの本をリットーミュージックから出して、2015年には「今日からできる! はじめての作曲」という本を日本文芸社から出しました。
あとは、専門学校の講師もやっています。

---ご多忙な日々ですね。

野戸:週の半分は学校にいって、夕方帰ってきて、夜は自宅でボイトレやってって感じですね。

最近の仕事でいうと、今年パラリンピックのゴールボールという種目がありまして、紹介動画の音楽を担当しました。





あとは、ソニーで"フィロソフィーのダンス"っていうアイドル・グループをやってまして、2016年11月23日に1stアルバム『Funky But Chic』がリリースされたんですけど、2曲書いています。

フィロソフィーのダンス 「バイバイよりも(Edit Version)」
https://soundcloud.com/philoshphy/edit-version-5


---野戸さんの曲提供といえば、真っ先にSMAPの「Fly」(1999年作品)が思い浮かびます。
「Fly」は作曲だけでなく、作詞も野戸さんだったんですね。ゆかり美和さんという名義で。


野戸:そうです。作詞のときはその名前です。magoo swimの時からそうしていますね。

---「Fly」は、こういう風に作ってほしいという依頼があったのですか?

野戸:コンペ(曲の競合選出)ですね。マネージャーが「コンペに出しといたから!」みたいな感じで。
「コンペに出してみたらそれが引っかかってるんだけど」「えー!?」なんて。だけどそういうのってどこで話が取り消されるかわかんないから、話半分で聞いてたらもう録音したって聞いて。
録音したって取り消しになる可能性あると思ってたんですけど、そんなに時間かからずに、シングルが出て。

---歌詞も曲もできてた時点でコンペに出されたのですか?

野戸:いえ。歌詞は違う歌詞がついてて、変えていこうみたいな感じで。
3つ4つ書いて持って行って、ディレクターと一緒に考えたりして。
元々入ってた歌詞の部分もあるし、あとから持ってった物と見合わせて編集したりしましたよ。

---そういう風に作っていくんですね。

野戸:あの曲はそうでした。ただまあSMAPの場合は、誰かにポンと頼むとき以外はだいたい詞と曲は別の人が作ってましたよね。

---その年のSMAP Liveツアー「BIRDMAN」にたまたま行きましたが、とてもコンセプチュアルで以前より大人っぽいムードのゴージャスなステージ。その中で「Fly」がひときわ輝いていましたね。

野戸:その年はちょっとブラックシネマみたいな路線でいこうということで、ショートムービーみたいなPVも作って、ちょうど曲がハマったっていうことだと思いますね。




---野戸さんはCrystal Kayさんの「Tears」も作曲されています。

野戸:magoo swimを解散する半年前に事務所をやめてフリーになりました。その後SONYクリエイターズオーディションという、作家の募集があったので応募したら通ったんですよ。「Tears」では僕はアレンジもしてないし作詞は西尾佐栄子さんという著名な作詞家の方でした。

Crystal Kayが「KISS」っていう曲で広く一般に知れ渡った頃です。その曲が入ったアルバムですね。(注:『Crystal Style』)





---ここからは、野戸さんの音楽ヒストリーをお伺いします。
子供の頃、いつぐらいから音楽を意識されましたか?


野戸:元々は親も音楽好きで。子供の頃にお絵かきで楽器の絵ばかり描いたりしていました。
小さい頃から音楽とか楽器には興味がありましたね。
札幌に住んでいたんですが、小学校3年の時に父親の転勤で東京に2年間住んだんです。
当時、YMOが大ブレイクしていた頃で音楽に目覚めたのはそこでしょうねえ。だいぶ影響受けましたね。

YMOと同時に日本のニューウェーブもTVで観たり、当時坂本龍一さんがフリクションのプロデュースをしたり色々やっていたので、小3〜4の時はそういう日本のインディーズみたいなものまで聴いてましたね。
YMOのメンバーはそれぞれソロも出して、シーナ&ザ・ロケッツは細野晴臣さんがプロデュースだったりで、アルファレコードのものを聴いたり。だいぶ音楽的な影響を受けました。

---東京に住んだ2年ぐらいで集中して吸収なさったのでしょうか。

野戸:そうですね、小4で初期衝動があったというか。
そして小5で札幌に戻って、小5の終わりぐらいから札幌少年少女合唱団に入りました。
プロフィールによく書くことなんですけど、萩原健一さんがコンサートツアーで各地方の少年少女合唱団を数曲でコーラスに使い一緒に歌ってたんですよ。

---小学生でショーケンさんと同じステージに立ったんですね!

野戸:ドンファンバンドっていうグループの頃。
その頃はそんなこと分かってなくて、後で分かったんですけどね。

ギターが石間秀機さんとか、ドラムは原田裕臣さんとか、今からするとすごいメンバーですね。後から好きになったバンドのメンバーだった人たちなんですけど。
ビーバーズ、ハプニングスフォー、フラワートラベリンバンド、ミッキーカーチス&サムライ、トランザム、後に僕が影響を受けた錚々たるバンドのメンバーです。

それで少年少女合唱団を使うっていうことで、たまたま札幌少年少女合唱団だったので、ステージに上がったっていうね。


---楽器を始めたのはいつ頃からですか?

野戸:楽器は、中学2年ぐらいにTVで「ビートルズの軌跡」みたいなのを観て、ギターでコード覚えてビートルズ弾いたりしてましたね。
ギターはなんか知らないけど家にありました。

---楽器は習ったりしましたか?

野戸:一切ないですねえ。何も習ってこないですね。

---学生時代にバンド活動はされましたか?

野戸:中学でビートルズの弾き語りしてて、今度は高校になってドラムを買ってドラムヴォーカルを始めました。
その頃ストーンズのブライアンジョーンズをカッコいいと思ってたんでシタールかドラムか迷ったんですけど、シタールじゃどうしようもないなと思ってドラムにしました。小さい頃に近所のお姉さんからドラムのスティックを貰ってそこらを叩いてたんです。シタールはなぜか狸小路ってとこにある店に売ってたんです。

軽音楽部に入ったんですけど、好きな音楽の趣味が似てる人がいなかったので一緒にやる人はいないんですよ。無理にやらないと。
当時は、エピックソニーのアーティストがだんだんと、大沢誉志幸さんに始まり、安藤秀樹さん、岡村靖幸さん等が出てきた頃です。作家でもあるシンガーソングライター。

周囲は、女子はプリンセスプリンセス、男子はハウンドドッグとかBOOWYのコピーバンドをやってました。もしくはメタルやハードロックですよ。聖飢魔IIとかアースシェイカーとか。
僕の行ってた高校は、フラットバッカーっていうヘビーメタルのグループのメンバーが先輩にいて、後でE・Z・Oっていう名前になったんですけどね。

---バンドブームの頃ですね。野戸さんは、周囲とは一線を画していたという感じでしょうか。

野戸:当時、GS評論家を名乗る黒沢進さんがグループサウンズの本を出しまして、とても興味を持ちました。やっぱり小学生でショーケンのライブステージに立ったっていうのが大きかったのかもしれない。
GSのテンプターズのボーカリスト、ショーケンですもんね。

小5で少年少女合唱団のステージがあって、中3の頃にその時のメンバーがどんな人達だったのかって知ったわけです。
というのも、ちゃっかりツアーパンフは買ってたんですよ。合唱団で出た時に。いまだに持ってますよ。

中学・高校ではもうYMOはそれほど聴かなくなってました。
ビートルズ以降はちょっとロック寄りな気持ちになってて、中学3年ぐらいかな? ウッドストックの映画をビデオ借りてきて観て、スライ&ザ・ファミリー・ストーンだけ異常に「なんだこれは!」みたいな衝撃を受けて。
スライ自体はブラックミュージックというよりも幾分ロック的な感じだったんですけど、そこから入ってだいぶ気持ちはブラック寄りになっていきましたが、それほど知らないので並行して日本のインディーズを聴いてました。

---作曲はいつ頃から始めたのですか?

野戸:曲を作るっていうのは子供の頃からちょっとした夢だったんですよ。
YMOに憧れていたので、「坂本龍一みたいな作曲家になりたい!」みたいなことを小学校の文集に書いちゃって。
そのうち、岡村靖幸さんとか20代前半にして職業作家の人が出てきたので、自分も、自分のことをやりながら他人に曲を書きたいなと思っていて。
それで、大学は行かなくていいやと思い、平成元年に東京に出ました。
そういう時代でしたね、フリーターというか・・・。

---フリーターになり、バイトをしながらどんな活動を?

野戸:音楽活動は大してしませんでした。
そんなにアクティブなほうでもないんで。バイトしながら自分で曲を作ってSONYに送ったりしてたぐらいです。

---magoo swimまではいろんなことをされたということでしょうか。

野戸:そうですねえ、音楽は沢山聴きましたけどね。
メンバーさがしのつもりでセッションに参加したり、ハードコアパンクバンド、エクスキュートのドラマーだった人のバンド(グリーン・ムーン・オン・ザ・ウォーター)でベース弾いてた時期もありました。

90年代に入ってピチカート・ファイヴが気になって聴き始めたり、オリジナルラブはメジャーデビュー前後、観に行ったりしました。

90年代は「いかに古い音楽を探すか?」みたいな時代でしたね。

---野戸さんもやはりレコード発掘とか行かれましたか?

野戸:そうですね。そればっかりみたいなもんでしたね。

---主にどの辺のレコード屋さんを?

野戸:神田とかお茶の水、西新宿はもちろん、中野とかどこでも行ってました。
free soulってね、渋谷系の後半、ブラックミュージック寄りなものが盛んになっていたのでその流れはありますよ、magoo swimのデビューは。実感としてはね。

---magoo swimの結成のきっかけは?

野戸:バンド組まなきゃ活動できないなってことで、メンバーを探してたんですがなかなか見つからなくて。
早稲田のサークルで、ブリティッシュビート研究会っていうのがあって、当時その中の人がレコード屋でメンバー募集、ヴォーカル募集してて、そこに入ったんです。それがmagoo swimの母体となって。1994年ですね。

---メンバーチェンジはありましたか?

野戸:デビューまでチェンジはありました。
当時の早稲田のサークルにいた人で一緒にデビューしたのはパーカッションと女子ボーカルの2人だけです。

---magoo swimという名前をつけたのは野戸さんですか?

野戸:そうです。名前はメンバーと出会う何年も前から決めてましたね。

---男女ツインヴォーカルが珍しくて、すごくソウルフルな歌唱で、リスナーを熱い気持ちにさせてくれるバンドでしたね。

野戸:90年代、周りのどのバンドもそうでしたけど、ルーツミュージックを掘り下げて、いかに自分らで構築するかみたいなことをみんなやってましたよね。

デビュー前に参加したコンピレーションではfree soul的なことをやってました。デビューアルバムになってくると、自分の中でですけどそれじゃ面白くないっていうんで、もう少し和風なものっていうか。ほとんど需要はなかったんですけど。
和風といっても、はっぴいえんどの様にもとらえられていたサニーデイサービスとはまた違って、もっと、赤い鳥とか・・・90年代半ば、それほどは注目されてないようなものを聴いたりしてました。みんなが手をつけてないような。

magoo swimの1stアルバムの頃は週刊新潮の表紙になってた画家の谷内六郎さんの絵とか、滝平二郎の版画、藤城清治の影絵とか、そういうものが好きで世界観を音楽に取り入れるっていうそんなことをやってました。
ただ、そういうのって特に脚光を浴びていたわけではないので、あまりリアクションもなく。

---でも、当時音楽雑誌ではmagoo swimの記事を沢山見かけましたよね。

野戸:『長い旅路』っていうアルバムは、そのあたりにリリースしたものだとダントツでレビューを取れたものだったんですよ。
だけど売れたわけではない(笑)。
レビューの数はね、事務所で営業かけなくてもすごい取れたんですけど、数字は出なかったですね。

---ジャケのロゴとか懐かしいレトロな感じで印象に残っています。

野戸:夕陽のやつね。小田島等っていう、色々なバンドのジャケで良い仕事をやり続けている彼がやってくれて、彼とは今でも時たま会ったりします。

『長い旅路』magoo swim



---当時、イベントではどんなバンドと対バンしていましたか?

野戸:デビュー前によく一緒にやってたのはオリエンタル・クロマニヨンっていうグループで、彼らもFILEレコードからデビューしましたけど、身内みたいな感じでやってました。
あとはフリーボ、バブルバス、スーパーバタードッグなんてバンドと一緒にやりました。

---magoo swimの活動期間は、6年ぐらいでしょうか。

野戸:そうですね、デビューは96年の暮れですけど、6年ぐらいですかね。

---magoo swimで得たものは?

野戸:全部、得たものですよね。




---magoo swimを2001年に解散して、しばらくお休みされていたのでしょうか?

野戸:僕はバンドと同じぐらいの時期からゴスペルの世界にも入っていたので、バンドと並行してやってて。
そっちの活動もしたりしつつなので、解散してからは少しゆっくりしてました。

デビューした時にS-KEN(エスケン)さんの『SOUP UP』っていうコンピレーションに参加してたんですけど、それ以来の繋がりでS-KENさんの事務所で女の子のプロデュース(エイミ・アンナプルナ『AQUARIUS』)なんてこともしていました。
その後、2003年ぐらいからUhVanNoizを始めようということになってリハしたりしてましたね。

---ボイストレーニングルーム「Fine Voice」を始めたのはその頃でしょうか?

野戸:自宅でやっているレッスンルームです。2006年からになります。

---プロでない人もレッスンは受けられるのですか?
たとえば私みたいにカラオケが苦手で上手くなりたくて、という個人でも受けられますか?


野戸:もちろん!もうどなたでもって感じです。
人によって、毎月のレッスン回数は違いますね。
事務所関係で来る人は、うちに来る場合もあるけど、こちらがスタジオに呼ばれる場合もあります。

---教える難しさはありますか?

野戸:ありますね。何かしら皆さん、弱点があると思って来られているので。
ある程度やって結果が出ない、もしくはちゃんと結果が出ているのに本人が気づかない場合もあるんですよ。
そこは、本人に成長があったと自覚してもらうためのスキルが必要ですよね。
スタートした時点からの上達具合というのは、こちらはわかるんですけど、なかなか自分の声は客観的に聴けませんからね。

「これだけうまくなってるよ!」と告げると、「ああそうか!なるほど」と実感してくれる人もいれば、「いやいやいや、こうなりたいんです」って、先だけを見てしまう場合もある。やっていく中で壁に突き当ると、結果が出てない!って思っちゃうんですよね。
でも本当はそこまでの結果はちゃんと出ていたりする。上達してますよっていうのをいかに上手に伝えるか?ですね・・・。
レッスンや自己練習をどれだけ楽しんでやってもらえるかが特に大切なので、その雰囲気作りも重要です。

---どのぐらいの期間でレッスンの効果は出るものなのですか?

野戸:しっかりやっている人でも、半年以上たたないと本当の意味では身につきません。身体のことですから。
でも即効で改良出来るコツみたいなのはありますよ。
こういうことを意識してライブの時にやれば自分で実感できるよとか、そういう解決策もあります。
実際に発声で癖が取れるには何ヶ月もかかりますね。

---せっかくの機会なので、野戸さんのプライベートなご趣味などについてもお伺いしたいです。
映画はご覧になりますか。


野戸:観ますよ。なんでも観ちゃうんですよね。ただ新しいものはあまり観ないですね。
最近は、昔の映画を観ます。
CSで放送されている中で、気になるのを気分転換に観るって感じです。
そういえば最近DVDで「東海道四谷怪談」を買いました。1959年で中川信夫監督、天地茂主演の作品です。

前はよく、好きな映画3つと言われると、「アラビアのロレンス」、フェリーニの「女の都」、ロバート・アルトマンの「 M☆A☆S☆H マッシュ」と答えてましたね。

---読書はされますか?

野戸:最近読まないですけど、一番影響を受けたのは開高健です。
開高健は80年代に「オーパ」っていう写真集の様になってる旅行記を出して、ベストセラーになったんですよね。
ピラニアの写真が表紙にでっかく写ってるやつ。当時は釣りも大ブームでした。
そのあたりで開高健を知ったんですが、小説も読むようになって、一番影響受けた作家です。「夏の闇」とか。

---リスナーとしては最近どんな音楽を聴かれていますか?

野戸:最近はミッキー・カーチス。
ミッキー・カーチスさんが好きなんですよ。ロカビリーでデビューしてからの音楽ヒストリーが大好きで、ここのところミッキーさんの70年代のアルバムを聴きまくってます。
ミッキーさんは1976年ぐらいからの2年間でアルバム6枚作ってるんですよ!
4ヶ月に1枚の割合で出してて、その頻度に感激して。
残念なのは、ミッキーさんは日本の音楽でとても重要な人なのに古い映像がほとんど残ってないんですよ。

---ミッキーさんといえば、最近は俳優業のイメージがありますが当時のアルバムも気になりますね。
野戸さん、今後の展望や夢を教えて頂けますか?


野戸:まずはソロアルバムの完成ですね。
制作途中で道は険しいんですけどアナログLPにしようと思っていて、CDのプレスはその後考えようかなと思っています。

他もそうでしょうけど音楽の道って厳しいですよ。若い時よりもそう思います。
教えるにしたって、現役の説得力というのが頭をよぎります。教えることと並行して出来る限り自分の活動をやっていきたいといつも思ってます。

世の中って、リリースっていう形でないと、本当に何かしら認知されないというのがありますよ。
今回初めてなので、まずは作って、世に出してみて、それからかな?って。
1stアルバムですよ(笑)。キャリアを積んでいかないとどうしようもないので。

---野戸さんぐらいのキャリアの方でもそういう風に思われるのですか?

野戸:だってまだ全然成し遂げてないですよ。
発表したいものは沢山あるけど出せてないなあって。
そういう気持ちが大きいので、なんとかうまく時間を有効に使って。
かといって教育の方で携わっているものを投げ出す気もないので。
やはり、裾野を広げないとね。

音楽業界での仕事も出来る限り続けていきたいです。
それにはキャリアを積むか、リリースなり何なりで認知してもらわないとっていうのはありますね。

---長期的な夢はありますか?

野戸:曲を貯めこんでるんですよ。
2000年代に貯めこんだもののほとんどが、詞も曲もアレンジもすべて出来上がったものではなく途中のものが多いんですけど、それを形にしたい。全部。

これは他人のことなど考えずに自分の好きなものを作ってるだけなんですけど、アルバム3枚分ぐらいあるんでそれを出せたらいいですね。叶わないまま貯めこんでる正に夢ですよ。この辺りは仲間を呼んだりしながらの一人部活動ってとこですか。

---ソロアルバム、そしてさらなる音源の発表も楽しみにしております。
本日は貴重なお話をお聞かせ頂きましてありがとうございました。












野戸久嗣(Hisatsugu Noto)プロフィール:

北海道札幌市出身。
10歳の頃、札幌少年少女合唱団の一員として、萩原健一のコンサートでコーラスを務めたのが音楽キャリアのスタート。

EMIからバンド、magoo swimのボーカリスト・ソングライターとしてデビュー。
並行して作家活動(作詞・曲、作詞名:ゆかり美和)開始。
提供曲はSmap「Fly」、Crystal Kay「Tears」等。
東京都杉並区でのボイストレーニングルーム、FineVoice代表。


Days Noiz (野戸久嗣ブログ)
http://uhvannoiz.blogspot.jp/

野戸久嗣 UhVanNoiz 音源サイト
https://magooswimwithnuts.bandcamp.com/

Twitter
https://twitter.com/hisatsugunoto


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