電子打楽器奏者MASAKing。最近では「関ジャム 完全燃SHOW」「ナカイの窓」などTV番組にも登場、気になっている方も多いのではないでしょうか。彼はミュージシャンとしての顔以外にも、音楽教育家、プロデューサーとしての顔を持っています。
音楽教育の分野では、小学校でICTを活用した音楽授業を全国で行って注目されています。9月6日には母校・仙台市立長命ヶ丘小学校で音楽の特別授業を行い、そして翌9月7日には長命ヶ丘小学校開校40周年記念式典でスペシャルステージに登場したり、全校生徒と一緒に学校オリジナルソング「みんなずっと」を演奏して地域を盛り上げました。
音楽の授業を取材させて頂きましたが、子供たちが目をキラキラと輝かせて授業に取り組んでいたのが印象的でした。身体全体を使ってリズムを感じたり、iPadの音楽制作アプリ「GarageBand」を使ってグループ毎に自分たちのオリジナルリズムを考えてアンサンブルしたり。「普段は音楽の授業はそんなに好きではないけど、今日は楽しかったよ!」という児童の声も聞かれました。
MASAKingも小学校、中学校、高校時代はこの地域で過ごす普通の音楽大好きな少年でした。そんな彼がMASAKingになるまで、40歳を迎え充実した日々を送る最近の心境、そして未来。じっくりとお話を伺いました。(2019年10月)


---母校での特別授業、翌日の式典と盛り上がりましたね。感想はいかがですか?

MASAKing:感無量ですね。僭越ながら、ようやく母校に地域に音楽で恩返しができました。
音楽活動を続けてきて良かったと心から思いました。
式典でのパフォーマンスは、普段はあまり褒めない辛口の母親も珍しく絶賛してましたね(笑)。
一緒に歌って踊ってくれた子どもたちのおかげです!みんなありがとう!

(授業風景)




(式典の様子)





---今回はMASAKingさんの音楽キャリアを総括する内容ということで、時系列で伺っていきたいと思います。
まずは子供の頃、初めて音楽を意識したのはいつ頃でしたか?


MASAKing:小学3年生の頃、カシオのピカピカトーンというキーボードをクリスマスプレゼントで買ってもらい、それをいじり倒していた記憶があります。今思うと、その頃から電子楽器が好きだったんですね(笑)。

---鍵盤の上にあるライトが光って演奏をナビゲートしてくれる機能のついたものですね。その後、11歳で仙台ジュニアオーケストラに入ったそうですが、そのきっかけは?

MASAKing:おとなりの一歳下の男の子がバイオリンを習っていたのですが、その子のお母さんから「正樹くん、こんなのあるけど受けてみたら?」と教えてもらったのが「仙台ジュニアオーケストラ」第一期生のオーディションでした。約800人の応募のうち100人が受かるという中で、まったくの初心者だった私が打楽器パートで受かって。ほんと、おとなりさんのおかげです。人生の転機はいつ訪れるかわからないものです(笑)。

---小学生にしてオーケストラに加入。練習はどのような内容でしたか?

MASAKing:週に一回、仙台市青年文化センターというところでパート練習があって、演奏会が近づいてきたらセクション練習や全体練習をしてました。
仙台フィルハーモニー管弦楽団の方から直接ご指導頂き、プロフェッショナルが使っている音響環境で音を出すことができたおかげで、音楽スキルが培われて、音を聴く耳が形成されたと思います。
全体練習の時は、打楽器は出番が少ないことが多いので、時には眠いなぁとか思いながらその場所にいましたけど、オーケストラで使われる楽器の演奏を生で見て聴けていたんですよね。それってなかなか出来ない経験だと思います。関係各位に感謝です。

---オーケストラには高校2年までいらしたとのこと。それまでの年数、かなりの数のクラシック音楽に触れたことでしょうね。

MASAKing:おかげさまでクラシックは今でも好きですね。当時は、演奏会の曲が決まったら、その曲を沢山聴いて、作曲家について調べてたりしてました。

---そこでしっかり音楽の基礎ができたんですね。バンド活動をするようになったきっかけは?

MASAKing:小学6年の頃、ミュージックステーションにX(現X JAPAN)が派手な恰好で出てきたんですよ。なんだこの人たち!?って驚いたのですが、「Say Anything」という壮大なバラードに感動しました。次に見た時は、「Silent Jealousy」という曲を演奏してました。ピアノ演奏から始まって、急にYOSHIKIさんが上着を脱ぎ出して、激しいドラムを叩き出して。かなりの衝撃を受けました。

おそらくYOSHIKIさんはクラシックとロックを融合させたサウンドを追求されていたと思うので、クラシック少年がロックの世界に入るきっかけとしてはドンピシャだったのですね。そこからはもう、ドラムに夢中になりました。練習台でずーっと叩いてましたね。中学生になるとバンドを組んで、友達の家に集まったり、ドキドキしながらスタジオとか借りたりして。あの頃も楽しかったなぁ。

---高校時代はどんな音楽活動をされていたのですか?

MASAKing:高校は進学校で当たり前のようにみんな勉強するような環境だったのですが、私はバンドを10個ぐらいかけもちして、とにかく学校外で音楽活動ばかりやってました。案の定、どんどん成績も下がっていって、下から数えた方が早いぐらいになって。

---そんな中、国立の宮城教育大学に進学して音楽を専攻なさったんですよね。そんなに成績が下がったところから奮起したきっかけなどあったのでしょうか?

MASAKing:まず、宮城教育大学を選んだ理由としては、市内で音楽が勉強できて、なおかつ祖父が教員だったので教育に興味があったからです。
高校3年生の進路相談のときに、担任に志望校を伝えたら鼻で笑われて、「あなたが受かったら合格体験記を書いてもらうよ」みたいなこと言われたのをなんとなく覚えてますね(笑)。
それに両親から「本当にこれでいいのか?」って真剣に言われたのも大きかった。「わかった、じゃあやるよ」って、バンド活動を全部休ませていただきました。
その後は狂ったように勉強しました。ソルフェージュや聴音も大変だったなぁ。

---その頑張りのおかげで宮城教育大学に合格したわけですね。

MASAKing:大学に入ってようやく音楽活動解禁!いろんなバンドをやる中で、親友のsaku(ベース)と本気でバンド活動に力を入れるようになって、そんな中、当時うなぎのぼりの人気バンド「RED≒MARBLE」(レッドマーブル)にsakuと2人で加入しました。
面白いのが、中学生の頃にバンドを組んでいたツインギターの二人がいるバンドと、仙台ライブハウスの最高動員数を競い合ってました。

---レッドマーブルは私も当時聴きに行きましたが、演奏レベルが高くてビジュアル的にも恰好良かったですね。何年ぐらい在籍していたのですか?

MASAKing:一年半ぐらいだった気がします。すごく濃い時間だったなぁ。ちなみに、この時にVドラムの最上位機種を購入して、ライブの度にアコースティックドラムと組み合わせて演奏してました。今となっては主流になっているハイブリッドセットです!

---その後、大学生後半ではどんな音楽活動をしていたのでしょうか?

MASAKing:レッドマーブルを辞めたころ、プロドラマー齋藤たかしさんとの出会いがありました。
たかしさんは当時ポルノグラフィティのバックで叩いていて、プロのドラマーの技を目の前で見た時に、こんな上手い人がいて、スタジオミュージシャンっていう職業があるんだ!って、そのとき初めてきちんと知ったんです。
幅広い音楽ジャンルの技術を持ち合わせているプロドラマーに憧れて、これはJAZZをやらなきゃなということになり。たかしさんの紹介で仙台在住のサックス奏者であり音楽スクールも運営している安田智彦さんのお店でライブをやるようになったんです。そこでかなり鍛えて頂きました。

---その時期は相当ジャズも聴きこんだのでしょうね。

MASAKing:そうですね、大学の卒業論文は「ジャズドラムの歴史的変遷」というタイトルで書きました。4人のドラマーの演奏を採譜して、どのようにドラムのスタイルが変わっていったか?ということを考察しました。
取り上げたドラマーは、ケニー・クラーク、マックス・ローチ、トニー・ウィリアムズ、エルヴィン・ジョーンズです。

---宮城教育大学の音楽科では卒業演奏もすると聞いています。

MASAKing:「Drum Dances」というジョン・ササスが作ったピアノとドラムだけの曲を演奏しました。後輩の鎌田くんにピアノを弾いてもらいました。

---そして大学卒業。その後はどういう進路を?

MASAKing:大学卒業後、すぐ上京しました。
齋藤たかしさんの実力を目の前にして覚悟はしていたんですけど、予想以上に東京には上手い人がゴロゴロしていました。
正直よくわからないまま上京したのもあり、もちろん音楽の仕事では全然食えなくて、塾講師とか色々なバイトをしました。

バイトに一生懸命になりすぎて、何をしに上京したか分からない状態になって・・・どうやっていけばいいんだろう、実家に帰った方が良いのかな?とも思いました。でも、自分なりに頑張っていたら、大学時代からお世話になっていたRolandの方々が仕事を紹介してくれました。

---上京してすぐにプロになったのかなと思っていましたが、色々あったんですね。

MASAKing:Roland社員で大先輩の高見眞介さんが「ノーボトム!」を紹介してくれて、古坂大魔王さんと出会ったのが大きな転機ですね。
その後、とんとん拍子でavexから『祭場traX』というアルバムでデビューしたのです。
上京して1年半ぐらいでメジャーデビューができて、運がいいほうなのかもしれないです。

---「ノーボトム!」への加入、古坂大魔王さんとの出会いで流れが変わってきたんですね。

MASAKing:「ノーボトム!」でメジャーな仕事をさせてもらい、いろんな体験をさせてもらいました。でもそれも結構短かったですね。約1年ぐらい。すごく濃厚な1年だったなぁ。
その後、2005年秋にMASAKingというソロプロジェクトを始動させました。

当時のブログ「MASAKing / Beat in Electronic」
http://blog.livedoor.jp/drums_masaking/

---そこからMASAKingなんですね!

MASAKing:はい。それからはひたすら電子楽器のパフォーマンスを磨き続けましたね。ちょうどRolandのデモンストレーションの仕事も増えてきて。毎週のように全国どこかの楽器店で演奏していました。出来立ての新しいパフォーマンスをお客さんの前で披露できる環境に恵まれました。

活動していく中でいろいろとご縁が繋がってきて・・・そのへんからミュージシャンとして一人立ちできてきた気がします。ようやく。

---MASAKingさんといえば、Rolandのデジタル・ハンド・パーカッション"HandSonic"(ハンドソニック)の第一人者でもあります。ハンドソニックとの出会いはいつ頃だったのですか?

MASAKing:初号機である「HandSonic15」はノーボトム!の活動では欠かせない楽器でした。その後、2006年に「HandSonic10」というモデルが出るんですが、それが私の人生を変えたと思います。
商品を解説するDVDがあり、打楽器奏者が3人登場するんですけど、大御所、ゴダイゴのトミー・シュナイダーさん。Roland創設者のご子息であり、パーカッショニストとしてご活躍されている梯郁夫さん。そして、駆け出しのMASAKing。

レッドマーブル、そして、ノーボトム!と、バンド活動で電子楽器の面白カッコよい演奏スタイルを追求してました。電子楽器がホント好きなのですよ。その気持ちが演奏に滲み出ていたのもあり、開発の方々と仲良くなって。「HandSonic10」と共にいろんな国に行って演奏しました。Rolandの関係各位には本当に感謝しています。





---その後、私の印象としてはMASAKingさんの活動の幅がどんどん拡大されていったように思います。地元仙台ではアップルストアでインストアイベントをしたり様々なライブイベントにも出演されました。2009年には初のアルバム『千変万化』を富樫春生さんのプロデュースでリリース。アルバムでは「アメニモマケズ」が特に心に響きました。

MASAKing:ありがとうございます。「アメニモマケズ」は富樫さんのアドバイスで取り上げましたが、私にとって新境地開拓でした。
30歳記念としてリリースして今でも大切なアルバムです。

『千変万化』MASAKing


その後、2010年には、ずっと仲良しの売れっ子プロデューサーTeddyLoid(テディロイド)君の紹介で、唯一無二のアーティストDiggy-MO'(ディギーモー)さんのツアーに同行しました。Diggy-MO'さんは、すごく音楽センス溢れる人でストイックな方です。目利きが良くて自分のバンドに集めるメンバーは若手の凄腕ばかりなんですよ。今も変わらずみんな第一線で活躍してます。

そんな中に私も混ざって、電子楽器担当としてやりきったのですけれど、ツアー終わった後に燃え尽きちゃったんですよね。ミュージシャンとして・・・。
音楽教育にも力を入れていきたいなと思うようになって、地元仙台の小学校を中心に音楽出前授業を実施しはじめたのです。

---そして2011年。東日本大震災が起きました・・・。

MASAKing:そうですね。私にとっても大きなターニングポイントになります。
震災直後に出向いた地元の小学校でのミニコンサートで見た光景は今でも忘れられません。あの悲惨な状況の中、子どもたちが音楽で盛り上がる姿を目の当たりにして、音楽教育家として活動していく決意をしました。

ある意味で転職したその後は、けっこうな試行錯誤を繰り返してましたね…
根が真面目なのもあり(笑)、変にストイックな方向にこだわっちゃって。今振り返ると長いトンネルを彷徨っていた感じです。五年くらいかな、わりと長かったですね。

---そのトンネルを抜けたきっかけというのは??

MASAKing:ズバリ、ピコ太郎さんです。

---ピコ太郎さんですか・・・!?



MASAKing:古坂さんが苦労されていた時期も、ドラムでサポートしていて交流が続いていたのもあり、「PPAP」の大ヒットは本当に嬉しかったです。
あの方の才能が世界中に認められたのが、私の自信にも繋がっていきました。

---古坂さんとMASAKingさんで音作りをしながら楽しそうに会話している動画がYouTubeにUPされていますが、とても和みます(笑)。

MASAKing:あれはピコ太郎ブレイク直前ですね。で、2016年にピコ太郎が大ブレイクして、古坂さんに誘っていただき2017年3月に武道館デビューしました!あ、正確に言うと、私の弟子であるピコッツァ・鈴木・ゼブラーノがですが(笑)。
そのへんからエンターテイメントの力というのを再認識したんですね。やっぱりエンターテイメントっていうのはすごいなと。
私なりに教育にこだわっていたけれど、やっぱりエンターテイメントももっと追求したいと、気持ちが変わっていったのです。

---そしてTV番組「関ジャム完全燃SHOW」「ナカイの窓」にご出演。その頃にやはり事務所に所属したほうがいいなと思い、2018年秋に現在のタレント事務所所属という流れになったそうですね。

MASAKing:教育×エンターテイメントというビジョンが見えてきて、MASAKingというソロプロジェクトを再ブランディングしていこうと思いました。
アーティストとしての価値を高めて、メディアへの出演も増やしていくことにより、私のやりたいことが伝えやすくなるかなと思っております。

そして2016年には、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団との出会いもありました。私が最も尊敬するローランド創設者である梯郁太郎さんが遺された財団です。今でも大変お世話になっております。

---梯郁太郎さんは2017年4月に逝去されましたが、お会いする機会はありましたか?

MASAKing:数年前に一度だけお会いできました。
あの時に頂いたお言葉は今でも鮮明に覚えています。「君みたいな人をもっと増やさなきゃな」って言っていただき、すごく嬉しかったです。
その時に、「チアリーディングと電子楽器を組み合わせたパフォーマンスをやるべきだ」というアドバイスをいただいたのです。私にとっては神のお告げですよ(笑)。
実は現在、そのプロジェクトがついに実現できそうな段階にきております。

---一体どんなプロジェクトなのか・・・具体化されるのが楽しみです。
今年になってリリースが相次いでいますね。それぞれ趣旨は違えど、どの曲もMASAKingさんならではの魅力が光っています。子供たちにお馴染みの唱歌をカバーした「おうた☆レボリューション」は斬新で、嬉しい驚きと共に聴かせて頂きました。


MASAKing:ありがとうございます。ミュージシャン、音楽教育家、プロデューサー。自分が表現したい3つの領域で作品をようやくリリースすることができました。
やはり、表現したいことを形にするのは大切ですね。ぜひ聴いて頂きたいです。


「届け君に」MASAKing


「みんなで歌おう!踊ろう! おうた☆レボリューション」


「リズムさん - Jam Jam January! (feat.由潮) 」



---このWEBマガジンの恒例企画ですが、MASAKingさんにとってのCheer Up!ミュージックを教えて頂けますか?

MASAKing:Xの『Jealousy』ですね。私の人生を変えた1枚!(笑)。

『Jealousy』X



---今後の展望や夢について教えてください。

MASAKing:たくさんあります!

ミュージシャンとしては、
才能溢れる音楽仲間に恵まれているので、その方々を繋ぎ合わせて音楽的な化学反応を起こしていきたいです。基本的にトリオで考えています。

音楽教育家としては、
楽器演奏に苦手意識を持つ子でも、最新機器を駆使すればアクティブな音楽表現ができます。教育課程をより良いものに、時代に合わせて進化させていきたいです。全ての子どもたちがもっと音楽好きになったら、世の中が明るくなると信じております。

プロデューサーとしては、
子どもたちを主体とした音楽イベントは可能性をすごく秘めています。例えば、学校の教育課程に入っていって、先生方と協力しながら子どもたちと音楽パフォーマンスを作り上げることにより、その過程を地域活性化に繋げていくこともできます。教育とエンターテイメントにおける経験をそれなりに積み重ねてきた私にしかできないプロジェクトを全国に展開していきたいです。

今年40歳になりまして…
ミュージシャンとして、音楽教育家として、プロデューサーとして、私の中である程度の自信を持てる段階にようやく辿り着いたので、ワクワクプロジェクトを立ち上げまくってみなさんを巻き込んでいきます!

---どうもありがとうございました。これからもCheer Up!ではMASAKingさんの活動を応援していきますね!




◆プロフィール

MASAKing(マサキング)
ミュージシャン / プロデューサー / 音楽教育家

2004年に、古坂大魔王率いる音楽お笑いユニット“ノーボトム!”でエイベックスよりメジャーデビュー。その後、“電子打楽器奏者 MASAKing”としてソロプロジェクトを始動。2009年には、富樫春生プロデュースによるソロアルバムをリリース。Diggy-MO'などのLIVE TOURへの出演、AAAへの演出指導をはじめ、TeddyLoidなど最先端のサウンドプロデューサーとのワークや、楽器メーカーの製品開発に携わるなど、幅広く活動。電子楽器にこだわり続ける唯一無二の演奏スタイルは、メディアからも注目を集め、“関ジャム完全SHOW”や“ナカイの窓”などの人気番組にもゲスト出演している。
一方、後進の育成にも注力しており、ローランドのVドラムコース主要教本の執筆をはじめ、大学などの教育機関との共同研究開発や子供たちを主体としたイベントプロデュースも積極的に開催。エンターテイメントとエデュケーションの世界を繋げ、これからの時代を見据えた新しい音楽教育メソッドの確立と普及に取り組んでいる。
宮城教育大学教育学部卒業。日本音楽教育学会正会員。アットプロダクション所属。MK Records主宰。


MASAKing Official WebSite
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